大判例

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東京高等裁判所 平成元年(ネ)799号 判決

控訴人 加藤裕子

右訴訟代理人弁護士 谷川光一

被控訴人 今橋盛勝

右訴訟代理人弁護士 中平健吾

同 高野範城

同 中平望

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「1原判決を取消す。2被控訴人は控訴人に対し、朝日、読売及び毎日の各新聞の茨城版に原判決別紙記載のとおりの謝罪広告を掲載せよ。3被控訴人は控訴人に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一二月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。4訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに3項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張並びに証拠関係については、右に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

水戸五中事件に関する昭和五六年四月一日言渡の東京高裁判決が確定した以上、右判決で認定された事実は訴訟上容易に動かし難い事実であり、これ以外の事実についていわゆる「真実の証明(利害の公共性、目的の公益性、真実性)」が認められる余地はない。

仮に、「真実の証明」を容れる余地があるとしても、その証明の程度は、一般の場合に比し、より厳格かつ高度な証明が必要であり、このことは、名誉毀損にわたる表現は原則的に許されず、表現の自由との関係から例外的に許容される場合があるにすぎないことからして、当然である。

2  被控訴人の主張

控訴人の右主張は争う。

教育公務員はその職務に関して子供の生命、身体、名誉等を著るしく傷つけたのではないかと疑われた場合には、その疑いを解消するために積極的な努力をし、応答すべき義務を負っている。このような義務を拒んだ者、あるいは不十分にしか履行しなかった者は、自己の名誉に関する権利を主張するについて、通常の場合に応答義務を尽くした者に比し、その権利主張は法律上、事実上大幅に制約されるというべきである。いわゆる「真実の証明」の判断にあたっても、右応答義務を尽くさなかった者に対しては、一般の場合の真実の証明に比して相当に緩和されて考えられるべきである。

3  証拠関係〈省略〉

理由

一  当審も、控訴人の本訴請求は、これを失当として棄却すべきものと判断するが、その理由については、左に付加、訂正するほか、原判決がその理由において説示するところと同一であるから、これを引用する。当審における新たな証拠調の結果によっても、引用にかかる原審の認定判断を左右することはできない。

1  原判決一四枚目裏一〇行目「第六、七号証」の次に「第四二号証」を加え、一五枚目表一行目「第四〇号証」を「第四〇、四一号証、第四三ないし第四五号証」と改める。

2  原判決一八枚目表八行目の次に、行をかえて、次のとおり加える。

「(四) ところで我国においては、学校教育における懲戒につき、明治一二年の教育令四六条が「凡学校ニ於テ生徒ニ体罰(殴チ或ハ縛スルノ類)ヲ加フヘカラス」と規定して以来、一貫して体罰は禁止され、明治二三年小学校令六三条、昭和一六年国民学校令二〇条にも同旨の規定がおかれてきた。しかしながら、右規定は守られず、ことに第二次世界大戦中は、軍事教育の影響を強く受けて、教育現場における体罰には目に余るものがあった。戦後、日本国憲法が制定されて、国民の基本的人権の保障が明確にされ、昭和二二年新たに定められた学校教育法は、戦後の体罰教育の反省をこめ、改めて一一条に「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。たゞし、体罰を加えることはできない。」と規定し、如何なる体罰も許されないことを明確にした。同法にいう体罰の意義については、法務庁法務調査意見長官回答(昭和二三・一二・二二)が「学校教育法一一条にいう『体罰』とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち、(1) 身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの類-がこれに該当することはいうまでもないが、さらに、(2) 被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない」として以来、これが行政解釈として定着し、昭和三〇年五月一六日の大阪高裁判決も「殴打のような暴行行為は、たとえ教育上必要であるとする懲戒行為としてでも、その理由によって犯罪の成立上違法性を阻却せしめるというような法意であるとは、とうてい解されない」とした。

しかしながら、戦後においても、学校教育法一一条が体罰を厳に禁じているにもかかわらず、体罰は教育現場から消失せず、人権擁護機関や教育関係者からのきびしい批判にもかかわらず、体罰事例は増加の傾向を示してきた。水戸五中事件は、このような状況のなかで発生したため、社会の関心と注目を集め、これに対する前記東京高裁判決は、体罰の限界の論議に一石を投ずることとなった。」

3  原判決一八枚目表九行目「(四)」を「(五)」と改める。

4  同一九枚目表末行「(一)第一項目の記述について」から、二二枚目裏一、二行目「いわなければならない。」までを、以下のとおり改める。

「(一) 第一項目の記述について

〈証拠〉によれば、被控訴人は本件論文の「体育館で何があったのか」と題する小見出しの下にした第一項目の記述の前後において、次のように述べていることが認められる。

「第一審と二審の違いはどこから生じたものであるか、そもそも、決定的に対立する被告人教師、弁護人と検察官の主張は、それぞれいかなる証拠と証言にもとづいたものであろうか。

被告人教師のトントンと手拳でない形で軽く頭をたたいたという主張は、本人が言うだけで、そうであるということは一、二審とも全く証明されていない。(第一項目の記述)検察官の主張は「事件」を始終、至近距離で目撃していた四人の生徒の供述、とりわけ第一審における三人の生徒の証言にもとづいたものであった。

つまり、被告人教師の主張と目撃生徒三人の証言の対立であった。一、二審で証言した元体育教師の証言は、ふりかえって目をはなす間の事実にすぎないし、二審での弁護側証人としての二人の元生徒は「チラッと見た時」についての証言であり、前記三人の生徒の詳細な証言をくつがえすようなものではなかった。にもかかわらず、高裁が前に述べたような事実認定をなぜできたのか。また、東京高検は検察官として普通に要求されている職務=弁護側の立証、主張に対する反論、反証の責任を果たしたのか、さらには、上告をなぜ断念したのか、不可解としか言いようがないのである。」

これらの記述において、被控訴人は、一、二審の判決の結論の相異、とりわけ体罰、有形力の行使の有無について何故異なる事実認定がなされたかについて疑問を持ち、この点について自己の意見、感想を述べたものであり、右記述が控訴人個人について批判、非難をしているものとはいえないから、第一項目の記述が控訴人に対する名誉毀損に該当するということはできない。

(二) 第二項目の記述について

第二項目の記述は、それ自体控訴人の行為を云々しているものではなく、懲戒行為を受けた生徒佐藤浩が事件から八日後に脳内出血で死亡し、このため証言ができなかったことを述べているものであり、読みようによっては、控訴人の行為と佐藤浩の死亡との関連性を窺わせるところがないわけではないけれども、未だ右記述をもって控訴人に対する名誉毀損に該当するとまで認めることはできない。

(三) 第三、第四項目の記述について

被控訴人は、第三項目の記述において、学校、教師層、PTAなどの学校関係者には、水戸五中事件が重大な教育問題であるとの視点が欠けている旨述べ、第四項目の記述において、控訴人を含む五中の全教師が新たな教育的信頼関係を形成しなければならないという教育的文化的責任を負っているとの自覚が欠けている旨述べているのであって、全体的にみて右記述は、学校教育者全体ないしは五中の全教師に対し、教育的文化的責任という面からみた問題点を提起しているものであって、控訴人個人に対する批判、非難をしているとはいい難く、第三、第四項目の記述が控訴人に対する名誉毀損に該当するということはできない。

(四) 第五、第六項目の記述について

第五、第六項目の記述は、いずれも他人の発言を引用する形で、控訴人が日ごろから怒り易く、かつ、しばしば生徒に体罰を加えることがあったかのように述べるものである。このような記述は、控訴人個人の性格、行動の好ましからざる点を指摘するもので、特段の事情がない限り、控訴人に対する名誉毀損に当たるというべきである。

(五) 第七項目の記述について

〈証拠〉によれば、第七項目の記述は、「子どもの人権を守る父母の会」が将来取り組むべき課題として三つの事項すなわち「〈1〉「女教師体罰事件」の真実を明らかにすること、〈2〉子どもの人権侵害と体罰の事例をひろく集め、書き表わすこと、〈3〉それらを通して、子どもの人権を守り、父母と教師の信頼関係をつくっていくこと」を考えており、かつ、「子どもを守る懇談会」も同様の希望をしたことを紹介する中で書き表わしたものであって、控訴人個人を批判、非難しているものとはいえないから、右記述が控訴人に対する名誉毀損に該当するということはできない。」

5  原判決二四枚目表一〇行目「(一)公共の利害に関する事項」から二五枚目表八、九行目「いうべきである。」までを、以下のとおり改める。

「(一) 公共の利害に関する事項

〈証拠〉によれば、本件論文は水戸五中事件に対する東京高裁判決を契機に開催された「子どもを守る懇談会」の内容を紹介しながら、右判決の問題点と教師の負っている責任を指摘し、併せて今後体罰問題に関し取り組むべき課題を提示するものである。

ところで、近時教育現場において、教師が生徒に対し体罰を加えたとして問題とされる事件が急増し、これが社会問題となっており、かかる体罰をめぐる事件の一つとして、水戸五中事件が社会の関心と注目をひき、これに関する東京高裁判決が体罰の限界論議に一石を投じたことは前認定のとおりである。

したがって、水戸五中事件の東京高裁判決の問題点や、体罰をめぐる教師の教育的責任のあり方、さらには体罰に関し話し合われた会の内容を執筆、公表してこれを公衆に知らせ、その批判にさらすことは、体罰に関する理解、認識を深め、結局は公衆の利益の増進に役立つものと認められるから、本件論文は第五、第六項目の記述を含め公共の利害に関する事項にかかるものというべきである。」

6  原判決二五枚目表一〇行目「(二)公益を図る目的」から二六枚目表九行目「ということができる。」までを、以下のとおり改める。

「(二) 公益を図る目的

前認定の事実及び〈証拠〉によれば、被控訴人は教育法をその専攻の一つとする学者として体罰問題を研究課題に取り上げ、その一環として昭和五一年以来水戸五中事件の調査、研究に当たってきたものであるところ、昭和五六年四月一日水戸五中事件に関する東京高裁判決が教師の生徒に対する有形力の行使といえども一定限度の範囲内では学校教育法一一条ただし書にいう体罰に当たらない旨判示したことから、これが当時校内暴力の多発などにより強まっていた体罰容認の傾向に拍車をかけるのではないかと懸念し、父母、市民、教師等が集まり水戸五中事件と体罰について話し合う「子どもを守る懇談会」が開かれたのを機会に、右懇談会に出した各層の人たちからの体罰事例の報告や、体罰批判の意見を紹介しながら、東京高裁判決の問題点と教師の教育的責任を指摘し、体罰が法律により禁止されているものであり、また教育の見地からも許されるべきものではないことを再認識してもらおうと考え、右懇談会に出席して得られた参加者の発言や、水戸五中事件の刑事公判記録の調査結果などをもとに本件論文を執筆、掲載したものであることが認められ、これを履すに足りる証拠はない。

以上認定したような本件論文の執筆の動機、目的に加えて、本件論文に格別私憤にかられて記述したことを窺わせるような不穏当な表現方法もないこと等を併せ考慮すれば、本件論文は第五、第六項目の記述を含め専ら公益を図る目的から執筆、掲載されたものということができる。」

7  原判決二六枚目表一一行目から三八枚目表三行目までを、以下のとおり改める。

「(1)  第五項目の記述について

〈証拠〉によれば、第五項目の記述は、水戸五中の卒業生の発言を引用したものであることが認められる。

そして、〈証拠〉によれば、昭和五六年四月一九日開催の「子どもを守る懇談会」において、五中卒業生が第五項目の記述のごとき内容の発言をしたこと、右懇談会は予め新聞でも報道され、公開の下に、新聞記者、父母、市民、五中卒業生など六十余名が参加して行なわれたこと、懇談会の冒頭司会者から、会の模様についてはテープをとり後日被控訴人がその模様について月刊「教育の森」に執筆する予定であるから了承されたいとの申入れがあり、異議なく懇談会は始められたこと、懇談会は被控訴人の「水戸五中事件の経過と裁判の問題点」という講演のあと、「父母からみた体罰についての報告」、「学校教育と子どもの人権について現場教師からの報告」、「質疑・応答・討議」の順序で進められ、終始真面目な雰囲気で行われたこと、第五項目の記述の発言はかかる体罰についての報告の中で述べられたもので、発言者は後日被控訴人が本件論文を執筆するに際し調査したところ、東京高裁判決後東京高等検察庁宛に事件を上告してほしい旨の嘆願書を自筆で記載した者で、ここには第五項目の記述の内容がより詳しく書かれていたこと、これらの事情から、被控訴人は右卒業生の発言の内容は真実であると信じて本件論文に掲載したことが認められる。

以上認定の事実によれば、前記東京高裁判決があったことを考慮に入れても、被控訴人が右五中卒業生の発言を真実であると信じたことに相当の理由があったものというべきである。

(2)  第六項目の記述について

〈証拠〉によれば、第六項目の記述は、母親Bが他の母親の話を紹介する発言を引用したものであることが認められる。

そして、〈証拠〉によれば、前記懇談会において、母親Bなる者が第六項目の記述のごとき内容の発言をしたこと、被控訴人は以前から母親Bなる者と面識があり、被控訴人が知るところでは、同人は懇談会が開かれた当時五中に在学する生徒を持つ母親で、数年前までは教師をし、信頼のおける人物であったこと、しかも同人はかねてから水戸五中事件に強い関心を寄せ、その成り行きを見守っている者で、本件発言も五中の卒業生と同様、多数の参加者が出席している中でのものであったこと、被控訴人は後日本件論文を執筆するに際し、右の母親Bなる者に面会して調査したところ発言にある「他のお母さん」は現在もその体罰問題について怒っているとのことであったこと、そして同人に対する事情聴取は同人が五中の学区内で自営業を営んでいる関係からこれを拒んでいるとのことでできなかったが、母親Bなる者から聞いた限りでは「他のお母さん」の話は間違いないものと思われたこと、以上の事実からこれを真実と信じて本件論文に掲載したことが認められる。

以上認定の事実のほか、「他のお母さん」の話の内容が言いにくいことを極めて具体的に述べるもので、これがことさら嘘や偽りであるとは思えないことなどに照らすと前記東京高裁判決のあったことを考慮に入れても、被控訴人が右母親Bの発言あるいは「他のお母さん」の話を真実であると信じたことに相当の理由があったものというべきである。

(3)  なお、被控訴人は、本件論文において、控訴人の実名を記している点にいささか配慮の欠くところがみられないわけではないが、本件論文が書かれた当時、既に水戸五中事件については、水戸簡裁判決及び東京高裁判決がなされたこともあって、新聞で広く取り上げられ控訴人の名前も公知の事実となっていたこと及び本件論文が掲載された雑誌月刊「教育の森」の内容、性格等を考えれば、このことをもって、被控訴人の行為が正当行為の範囲を逸脱しているとすることはできない。」

8  原判決三八枚目表七行目「理由がないから」の次に「、その余の点について判断するまでもなく、」を加える。

二  以上の次第で、控訴人の本訴請求は、これを失当として棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野崎幸雄 裁判官 関野杜滋子 裁判官 篠田省二は転官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 野崎幸雄)

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